「リーガルの靴は恥ずかしい」と思う方、リーガルの靴を実際に愛用している方に向けて。
プロのファッションデザイナーが、その原因や日本ブランドの特徴について解説しました。
こんにちは、しょるです。本日は、「リーガルの靴が恥ずかしいか否か」という点について、お話しさせていただければと思います。
初めに結論からですが、プロの私から見て、リーガルは恥ずかしいブランドではありません。というのも、リーガルは本当に実力のあるメーカーで、その技術力や本気出した靴の凄さはよく分かっているからです。
ただし、価値観は人それぞれ。「リーガルの靴が恥ずかしい」と思う人は、「トヨタの車は買わん!」という価値観に近いと思います。中には、「リーガルの靴は、そこそこ高いのに大衆感ある!」「どうせなら英国やイタリアの靴の方が良い!」と思う方も多いですよね。
「恥ずかしい」のポイントが人それぞれだからこそ、リーガルの靴が“気になる”方は、
- 多くの社会人が履いているシューズブランドだから
- 高級なイメージが無くて馬鹿にされそうだから
といった理由で「恥ずかしい」と思っているのではないでしょうか。
また、ひとえにリーガルと言えど、様々なモデルや価格帯が存在します。正直、イマイチなラインと中々良いラインで分かれていることも事実です。
そこで今回は、国内ブランドとラグジュアリーブランド、双方のデザインチームでデザイナーを経験した私が、リーガルや日本のブランドの多くが抱える問題にもフォーカスします。
私もリーガルの愛用者です。この記事を最後までお読みいただき、それでも気に入ったのであれば、自信を持ってリーガルを愛用してくださいね。また、「やっぱり好きになれない・・・」という方にも、代替案もご提案させていただきました。
【恥ずかしい?】リーガルというブランドについて
リーガルは歴史ある、日本を代表する革靴ブランド
1970年にオープンした東京・八重洲の直営一号店
引用:https://timeandeffort.jlia.or.jp/
リーガル(REGAL)は1880年、アメリカにて創業したブランド。そして、現在は1902年に創業した、日本製靴(せいか)という企業にブランド買収され、「リーガルコーポレーション」として存在しています。
日本製靴は明治時代の近代化と共に、渋沢栄一の主導によって統廃合が進められて誕生した企業。当初は、軍需メーカーとして、旧日本軍の軍靴などを製造していました。そして戦後、グッドイヤー・ウェルテッド製法の靴を導入したことで、現在のポジションを確立していきます。
1961年、日本製靴は、米ブラウン社のブランドであった“リーガル”とブランド契約を締結。そこから、リーガルブランドとして名靴「2504」などを展開し、民需においても日本を代表する靴メーカーとなりました。
日本メーカーの多くは「一億総中流」の社会に間口を広げた
引用:https://timeandeffort.jlia.or.jp/
リーガルブランドの拡大は、日本の高度経済成長と共にありました。高度経済成長の結果、日本は“世界一の社会主義国”と、半ば揶揄のようにも言われるような、「皆がそこそこ豊か」という社会を実現しました。
経済成長が終身雇用を生み、「皆が画一的で、そこそこ経済的に恵まれている」という状態。それは、中間層向けの価格帯ブランドを作ることが、最も効果的だったということでもあります。
リーガルは、「資生堂」や「トヨタ」と同じく、「皆にとって“そこそこ”を提供するブランド」であることを選びました。ある程度のブランドイメージを保持しながら、多くの国民にとって手の届かない存在ではない。そんな「ちょうど良さ」こそ、リーガルのブランディングだったわけです。
実際、靴作りのレベルは非常に高い
私がリーガルの靴を「恥ずかしくない」と思う理由としては、本当にレベルの高い靴を作れる企業だからです。
近年展開されているオーダーメイドの「リーガルトーキョー」や、「マスターリーガル」などの高級既成靴は、欧や米の高級靴ブランドに比肩し、ときに凌駕さえする出来栄えです。まさしく、トヨタにおける「レクサス」のような存在。
ちなみに、リーガルのフルオーダー靴は、軽く3、40万円くらい掛かります。
確かに、ひとえに「リーガルの靴」と言えど、価格もピンからキリまであります。同じ「リーガル」という名前で出してしまっているからこそ、「全体のイメージが崩れる!」と思う方がいても不思議ではありません。
もっとも、さんざん製造の裏側を見ている身としては、そのようなことは気にならなくなるのですが・・・。
とはいえ、皆が皆、私のような立ち位置ではありません。消費者目線として、やはり「リーガルの靴を恥ずかしい」と思う人も、一定数いらっしゃいます。
そこで次項では、リーガルの靴を「恥ずかしい」と思う人がいる理由について、深掘りして参ります。
リーガルの靴が「恥ずかしい」と思われている3つの理由
リーガルの靴が「恥ずかしい」と思つ価値観が存在する理由としては、「有名×中価格帯」ブランドに対して、不利要素が大きくなったことが挙げられます。
具体的には、
- 昔に比べ「安くて良いもの」が作れる環境
- 他とは違う、「自分であること」を示したい人が増加
- 格差拡大により、中価格帯の商品に「穴」が空いている
の、三点が挙げられます。
もちろん、昭和にも平成にも、同様の考えを持つ人はいました。しかし、経済格差の拡大と、賛同できる価値観に触れやすくなったことで、より顕在化したことは間違いありません。
上記を主観的な価値観に変換すると、
- コスパもブランド力もイマイチ
- 皆と同じは嫌だ&「情弱」だ
- 中途半端な価格設定
と思う人がいるからこそ、リーガルの靴は「恥ずかしい」という価値観になります。
昔に比べて安くて良いものが作れる→リーガルより賢い選択があるのでは?
リーガルの靴を「恥ずかしい」と思う一つ目の理由として、一昔前と比べて「安くて良いもの」が作れるようになったこと。製造・流通のグローバル化による徹底的な効率化によって現れた「安くて良いライバル」が、リーガルにとって「逆風」となっているということです。
現在は、海外製造の商品は当たり前になっています。ことファッション領域においては、2022年現在、「日本製」の商品は全体の僅か2%しかありません。今は製造国で判断する人が少なくなったことや、ネットショップオンリーで徹底的にコストをカットをしてくるブランド、外国市場であることを恐れないブランドで溢れています。
これらの新しい価値観やブランドに対し、リーガルは明確なストロングポイントを生み出せていないのかもしれません。
特に、リーガルの中でも一万円台の比較的廉価な商品たちは、大きな影響を受けています。徹底的に人件費や店舗維持費をカットできるブランドに対して、
という疑問を持たれるようになったことは、間違いありません。
この点においては、正直、私もかなり共感できます。今の時代、定価一万円台の、セメンテッド製法やマッケイ製法のリーガルを、あえて買う理由はありません。
同予算、あるいはそれ以下の予算だとしても、リーガルの一万円台の靴よりも「見てくれの良い」革靴を見つけることは可能だからです。
他とは違う、自分であることを示したい
リーガルの靴を「恥ずかしい」と思う第二の理由として、俯瞰的なポジションが可視化しやすくなった(と思われる)点が挙げられます。要は、「有名だけれど、革靴ブランド全体からしたらイマイチなのでは?」という疑問を、一定数の人が抱いていることが分かってしまったということ。
これは、ネットなどの情報で「周りがどう思っているのか」「ファッションにこだわりがある人がどう思っているのか」が、分かりやすくなったということでもあります。例えば、「革靴ブランド 格付け」などと検索すれば、誰かが示した答えに気軽に触れられます(私が書いたページも出てきますね)。
その中で、「一般的に人気なリーガルが、実はそこまでの評価が得られていない」というのは、多々見受けられます。
ファッションとは本質的に、「他者との相対性」に対して、同質性や異質性を以って表現を試みるジャンルです。「周りがみんな履いているけれど、有識者からそこまで評価されていないんじゃ?」と思った時点で、「身に付けていたら恥ずかしい」という価値観にすり替わるものでもあります。
この理由には、私は半分賛同し、半分は賛同しません。確かに、リーガルにはエドワードグリーンのような「高級ブランドのイメージ力」はありません。また、いくらリーガルが「ピンからキリまである」と言えど、「ピンからキリまであること自体が嫌!」という気持ちも理解できます。
一方、リーガルの本気を出した靴作りの素晴らしさは、もっと知られても良いと思います。リーガルが「履くトヨタ」なら、最高級のレクサスもあるように。リーガルの本当に凄いラインの靴は、決して恥ずかしいものではないことも、もっともっと知られたら良いと思います。
格差拡大で「中途半端はいらない」とされる考えが増長した
リーガルの靴を「恥ずかしい」と思う第三の理由として、これまでリーガルを買い支えてきた層の喪失が挙げられます。長く「一億総中流」社会とされてきた日本における格差拡大によって、「酸っぱいブドウ」にせよ、見下すにせよ、“そこそこの購買層”が少なくなりました。
これは、欧や米などの地域では、より顕著にみられる傾向でもあります。2000年〜2010年代にかけて、多くのブランドが高級品戦略としてセカンドラインを廃止したのも、決して偶然ではありません。富裕層と貧困層の双方が増える社会において、中間層ブランドは、大きく割を食う実情があります。
ラグジュアリーブランドが保有する「中間層の価格帯のブランド」は、却ってイメージ力を落としてしまう原因になりかねません。その代わり、イメージ力の向上や認知拡大のために用いられる手段が、ファストファッションやスポーツブランドとのコラボレーションや、SNSでの発信にすり替わったのですね。
そして、この時代の流れが、1億人余の人口を擁し、「皆がそこそこ高いものを買える国」であった日本市場に亀裂を生みました。つまり、リーガルは「買える人にとっては安すぎて、買えない人にとっては半端に高い」というポジションに収まってしまったのです。
モノとしての差ではなく、あこがれる「イメージ力の差」として、ブランドや商品を選択する傾向が強まり、より顕在化したことは間違いないでしょう。
リーガルが「恥ずかしい」という価値観は、日本のブランド全体に通じる
上述の通り、リーガルが恥ずかしいと思う理由は、価値観を抱く人や環境の問題でもあります。つまり、これはリーガルのみならず、日本の多くのブランドが直面している問題でもあるということ。
つまり、「一億総中流」をターゲットにしていた日本のブランディングは今、ミスマッチを起こしています。ここでは、その「状況」を掘り下げてみようと思います。
日本ブランドの多くは「同じ屋号」で価格帯を分けた
日本の経済格差が拡大を始めた段階でも、多くの日本のブランドは「ブランド名を分けない」という判断を下しました。これは、日本人に根付く公平意識や、多くが90年代の不況がいつか終わることに対する希望を失っていなかったからかもしれません。
一方、上手くお金を稼ぐ人が現れたことや、ブランド意識のグローバル化による欧や米への対抗心の結果、同じ名称に様々な価格帯を擁する結果になりました。革靴の日本編は、同一ブランド内で大きな価格差があることがよく分かると思います。
ロレアルが、「さまざまな価格帯」をブランド毎に分けているのに対し、「資生堂」は数百円〜数万円の価格帯の幅があるにも関わらず、同じ“SHISEIDO”という商品パッケージに彫られています。shu uemura に「ロレアル」の文字は入りませんし、オメガに「スウォッチ」の文字も入らないこととは対照的です。
中でも、革靴の違いは特に「分かりにくい」
資生堂の場合、「クレ・ド・ポー・ボーテ」がありますし、セイコーにも「グランドセイコー」があります。しかし、「リーガルトーキョー」や「マスターリーガル」は、それら程の認知力はありません。
靴は、特にパッと見の「違い」が分かりにくい分野なのかもしれません。それが、何となくのイメージとして「リーガルが(モノとしても)恥ずかしい」という、半ばバイアスに近い価値観を生んでいる側面もあるでしょう。
日本ブランドの多くが抱える「弱点」は確かにあります。もしかすると、靴はその“あおり”を受けやすいものかもしれません。
厳密に言えば、昭和の頃から「リーガルからチャーチに乗り換えたい」といったファッショニスタの価値観は存在したようです。トヨタからベンツに乗り換えるのと同様、憧れの比較対象は基本的に欧や米のブランドでした。
今も「ドメスティックブランドから、グッチやロエベにしたい」といった価値観がないわけではありません。「モノの良悪しなんてどうでも良いから、グッチやロエベなんだ!」という人は潔いです。一方、「ハイブランドはモノも良いはずなんだ!だからリーガルは恥ずかしいんだ!」と思っている方がいたとするならば、少し誤解があるように思えます。
「右へ倣え」の連鎖にまつわる負のイメージが、代表者に投影される
リーガルが「恥ずかしい」「ダサい」という考えや価値観は、まさに「皆のためのブランド」「日本の革靴といえばリーガル」であるという点にあります。
社会人になって営業するなら靴は恥ずかしくないものを=リーガル
とりあえずリーガル
日本の革靴と言えば?リーガルでしょ!
「アンチリーガル」が本当に許せないのは、こういう「思考停止の連鎖」でもあります。だからこそ、その選択への許せなさが、最も代表する存在へのヘイトにもなり得ます。
「画一的」「平均的」で良いと思う人ばかりではありません。中には皆が持っていない“特別なモノ”が欲しかったり、自分がそういう人間になりたかったり。誰しも「『普通』『平凡』では許せない」という部分があることは、不思議ではありません。
個人的には、側にいる営業マンがリーガルの靴を履いていても、全然気になりません。しかし、それを見るのが耐えられないし自分が履くのは言語道断、そして、「安易に選ばれている」こと自体、許せないという人もいます。
それでも、リーガルの靴は「恥ずかしい」と思う人へ
それでも、やはりリーガルの靴は「恥ずかしい」と思うあなたへ。異なる価値観をリスペクトする必要はあると思いますので、「自分はリーガルを選ばない!」という人のための代替案も示してみました。
個人的には、(東欧靴が好きなので)特に3番目をオススメしますが、ぜひ価値観が合うものを選んでみてくださいね。
同価格帯で探すなら、日本の革靴ブランドが◎
例えば、3~40,000円程度の予算であれば、基本的には日本ブランドから探されるのが良いと思います。英国靴などのインポート物は、リーガルと同等の予算で同レベルのものは難しいです。
革靴の場合、カッコ良さと作りのレベルは概ね比例します。インポート物に憧れる気持ちは分からなくはないのですが、あまり安いブランドは本末転倒なチョイスになるため要注意。
上記記事では、3万円台で購入可能な日本ブランドを挙げました。日本の革靴ブランドにどんなものがあるか知りたい方は、ぜひ上記記事をお読みください。
正統派のブランド力を重視するなら、英国靴からが良い
「国産車より外車」派がいる通り、「革靴も日本ブランドではなく、インポートブランドが良い」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
革靴界における中心は、英国ブランドです。確かに、リーガルの革靴にはない「イメージ力」を提供してくれます。そこで、上記記事では、英国の有名&オススメブランドを紹介させていただきました。
もちろん、リーガルの革靴より大幅に高価なブランドが大半です。とにかくブランドイメージが高いものを探していて、もっと「上の予算が出せる」方はご覧ください。
実用性×ニッチな世界観なら、中東欧靴もアリ
あるいは、中東欧靴も個人的に強く勧めたい選択肢です。スーツ同様、革靴も西欧が中心ですが、「中東欧靴を無視する革靴マニアはいない」といっても過言ではありません。
というのも、工業化が遅れた当該地域の革靴は、機械生産ではなくハンドメイドによる生産が中心。その環境が、ブランド料の嵩んだ「有名ブランド」にはない価値を提供してくれます。
特に、上記記事でも紹介しているヴァーシュというブランドは、あらゆる意味で一線を画すブランドです。個人的に、最も好きな既製靴ブランドですので、ぜひ注目してください。
終わりに|好きならば履き、嫌いなら避けても人生に全く問題ナシ
今回は、リーガルの靴が「恥ずかしい」とされる理由や背景、そして、恥ずかしいと思う方に対しての代替案を示させていただきました。
繰り返しになりますが、私はリーガルの靴を「恥ずかしい」とは思いません。もちろん、選ぶべきと思う価格帯と、そうではないものはありますが、履いている人を馬鹿にする気持ちも起きません。
とはいえ、リーガルが抱える弱点や問題は、日本の多くの産業で「有名」とされるブランドが抱えている問題でもあります。決して、リーガルだけのものではありません。
大事なことは、ご自身の価値観に正直に判断することではないでしょうか。「誰かが言っていたから、どうのこうの」というより、価値観に応じて自由に選べることこそが、ファッションの醍醐味ですから。
その上で、私としてはあらゆる出来や価格帯の革靴を見てきて、「リーガルって日本的で愛着も湧くよね。日本人だし、いかにも日本的だし」という結論に達しました。
あなたの結論は、あなたの触れ方や価値観が決めること。もし、リーガルを好きになれそうなら、ぜひ愛用してくださいね。
おしまい!
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